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東京高等裁判所 昭和59年(う)909号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審の未決勾留日数中五〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人丹篤提出の控訴趣意書、同補充書四通に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意は、事実誤認と量刑不当の主張である。

一  所論は、要するに、(1)A子(以下A子と略称する)の左足小指の骨折は被告人の暴行によって生じた傷害ではない。(2)被告人とA子はもと夫婦であり、昭和五五年一月の協議離婚後も、A子は長男B(以下Bと略称する)と同居しているが、被告人もその近くに住んでいて相互に往来しており、本件は被告人とA子との夫婦喧嘩にすぎない、それも被告人が金の無心にA子を尋ねたところ、A子から拒否されたので、男の面子から暴行に出てしまい、たまたま洗濯のときポケットに仕舞い込んでいた紐でA子を縛ったものの、いわば夫婦間の痴話喧嘩であって、財物を強取する意図によるものではない、(3)A子は被告人の行動に畏怖してなるがまゝになっていて、その行動を黙認しているのに乗じて被告人はBの給料袋を持去ったものであって、そのとき「借りてゆくよ」と言っており、それに対しA子は「早く返してね」と言っているのである、(4)以上の点から本件を強盗致傷と認定した原判決には事実の誤認があって、破棄を免れず、本件は傷害罪と恐喝罪をもって問擬すべきである、(5)以上の事実誤認及び被告人に前科のないこと、深く本件を反省していることなどから、原判決の量刑は重きに失する、という主張である。

二  そこで原審記録及び当審の事実取調べの結果を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告人は、本件当時六五歳であったが、昭和一八年五月ころ浜松市在のF木工所に勤め、同二〇年一月に同木工所を経営していたEの長女A子と結婚し、同年長男B、同二三年長女C子、同二五年次男Dを儲けたが、昭和三〇年ころからパチンコや競艇のギャンブルに狂い、義父Eとの折合いが悪くなり同三二年ころ同木工所を退職し、同年八月ころから同四三年ころまで同じく浜松市在の土建業G建設に運転手として勤め、その後再びA子の実家の前記木工所に同五二年三月ころまで勤め、次いで同五八年一月まで同じく浜松市在のH木工所に勤め、交通事故により同木工所を退職した後は就職せず厚生年金と失業保険で生活しているものであること。

2  被告人は、昭和三二年にF木工所をギャンブルで退職したころより、さらにギャンブルに打ち込み、そのため持家を売る破目になり、G建設の社宅に移ってからも改まらず、一時A子と子供三人は一年位実家に帰っていたこともあったこと。再び同居するようになったものの半年位で被告人はまたまたギャンブルに凝り出したこと。被告人一家は再度F木工所に勤めるようになってからも、数年はG建設の社宅に住んでいたが、その後肩書住所にA子及び三人の子供と共に移ったこと。昭和五〇年七月に長男は結婚して、同団地の二号棟二〇八号室(本件現場)に新居を構えたこと。被告人は同年ころからギャンブルに給料もすべてつぎこむようになり、金に窮するとサラ金から借りるようになり、さらにA子を通じてBに無心し、同年夏ころには被告人のサラ金からの借金二五〇万円を、Bが支払ってその尻ぬぐいをしていること。ところが被告人のギャンブル狂いはそれでもあらたまらず、その一年後には再びサラ金に一五〇万円の借金を作り、これもBにおいて工面して支払っていること。そういうところから当然A子にも多大の苦悩をかけており、痺れをきらしたA子は同五二年七月ころ離婚調停を静岡家裁浜松支部に申立てたが、被告人においてギャンブルを慎しみ、夫としての責任を尽すことを誓ったので、一応離婚を思いとどまったこと。しかしながらその後も被告人のギャンブル狂いは治まることなく、手当り次第に親戚らに金の無心を繰り返し、サラ金から借金し、挙句の果はA子の持っていた合鍵を無断で使って前記二〇八号室に入り、Bとその妻I子の貯金通帳等や印鑑を持出し、二五〇万円位を引出して借金返しやギャンブルに使い、その一部しかBらには返済していないこと。A子は被告人のこのような生活態度に、遂に同五五年一月中旬に離婚を決意して同月一四日協議離婚届を提出し、被告人のところからBのところに移り、以後現在に至るまでB一家と同居して、家事の手伝いや二人の孫の守りをしていること。その後は被告人とA子との間にはほとんど交際はなく、Bの子供が被告人方に遊びに来たのをA子が迎えにきたことが各年に数回ある位であること。それでも同五七年八月ころ被告人が交通事故で怪我をしたときは、A子が三日間程泊りがけで看病にきたこともあること。

3  被告人は、前記のように同五七年の交通事故後は就職せず、厚生年金(年間一六一万円)と、同五八年三月から三〇〇日間の失業保険金(一日当り三一四〇円)で生活していたが、相変らずギャンブルにのめり込んでおり、そのため生活費やギャンブルの資金に窮してサラ金から借金し、その利息の支払いに追われ、同年五月ころBの妻から一〇万円をBに内緒で借りたこともあり、同五九年一月九日に右失業保険金二八日分八七二九〇円の支給を受けたが、それでは足りず、同月二〇日にはA子に無心して一〇万円を借りたが、これもサラ金の借金返しとギャンブルに費果し、同年二月一日ころは僅か一〇〇〇円を有するのみとなり、失業保険金も同月六日に三万余円を受取れば終了となるので、極めて金に困窮した状況にあったこと。そこで、被告人は他に借金する宛もなく、なんとかA子から金を出させようと考えたこと。というのは本件の二、三年前に偶然の機会から、被告人はA子が東海銀行に一〇〇万円の定期預金を持っていることを知っており、なんとかその半分の五〇万円でも借りようと思ったこと。

4  そこで同年二月一日朝ころ被告人は出来たら暴力を使わずにA子から金を出させようと思ったが、すでに一〇日前に一〇万円を借りてそれもまだ返済していないので、A子がすんなりと大金を出してくれる自信もないので、そうなったら言葉で脅すか、手足を縛ってでも定期預金の通帳と印鑑を出させ、その引出しに協力させようと思い、自宅からビニールの紐、布テープ、寝巻の腰紐などを着ていたジャンパーのポケットに入れて、同日午前一一時ころ前記三〇五号室の自宅を出て、A子のいる前記二〇八号室のB方に至ったこと。

5  前記二〇八号室における被告人とA子との言動の詳細は、次のとおりである。

(1)  そのころ同室でA子がBの長男K(当時二年)を遊ばせながら編物をしていると、玄関のチャイムが鳴ったので、覗き穴からみて被告人が立っているのが見え、金の無心に来たなと思い、居留守を使うとしたが、Kが部屋内を走り回り出したので、しかたなく玄関のドアを開けずに用件を尋ねたところ、被告人が、前に借りた一〇万円の半分を持って来た旨を答えたので、鍵を解ずしてやると、被告人は直ぐに室内に入ってきたこと。

(2)  もっとも被告人が右のように言ったのは扉を開けさせる口実にすぎず、被告人は室内にはA子とKがいるだけで他は留守であることがわかったこと。被告人はA子が逃げ出さないように、玄関の扉を内側から施錠したこと。

(3)  A子は再び四畳半間に戻って座って編物を続けていたが、被告人は便所に行ったり台所で水を飲んだりして、すぐにはA子の側に行かず、どのように同女に切り出して金を出させようかと考えたが、なかなか切っ掛けがつかめず、四、五分の間室内をうろうろしていたこと。A子は被告人が金の無心に来たのではないかとうすうす感じていたが、被告人を無視する態度を取りつづけたこと。

(4)  被告人はもと夫婦であったことから、情に絡めてA子に金を出させようと思い、外部から見られてはまずいので南側の窓のカーテンを引いたところ、A子は奇異に感じてそれをすぐ元に戻してしまったこと。その際同女が立上って被告人のすぐ近くにきたので抱きつこうとすると、同女は「うるさい触らんで」と言って避けたこと。そこで被告人は「話があるので座れ」とA子に声をかけ、三日前に転んで左足の向う脛を痛めていた同女が「足が痛くて座れない」と拒んだところ、被告人は「どこが痛い、見せてみろ」と近寄ってきたので、A子は避けて四畳半間と西隣りの六畳間を五、六分の間行ったり来たりした後、四畳半間のオルガンの椅子に腰掛けたこと。この間Kは菓子を食べたりして独りで遊んでおり、泣いたり騒いだりしなかったこと。

(5)  それを見た被告人はA子が外部に逃げだすのではないかと気にし、力ずくでも情に絡めたうえで話を切り出そうと思い、同女の後から近寄り両手を同女の両脇から入れて羽交い締めの状態に抱きつき、同女の手を後方にとろうとしたが、同女が嫌がって暴れ、被告人の顔などを引っ掻いたり、帽子を取ったりして激しく抵抗するので、同女を静かにさせるため縛ってしまおうと考え、ジャンパーのポケットからビニール紐と布テープの紐を出してA子の両手を後手に取ってこれを縛ったこと。その際同女の抵抗で被告人は右頬に爪による引っ掻き傷を受けたこと。ところがその縛り方が強く、同女が痛がったので、被告人は緩めるため縛った紐を手首のほうにずらしてやり、又、同女の手を揉んでやったりしたこと。その前後を通じて被告人とA子の間には激しい言い争いがあり、そのとき被告人は、「おとなしくしろ、今日は覚悟してきた、お前を殺して俺も自殺するかも知れない」などの脅し文句を並べたてているが、この段階ではまだA子の定期預金からの金の要求はしておらず、金員に関することは触れていないこと。この点についてA子の昭和五九年二月七日付司法警察員に対する供述調書及び検察官に対する供述調書には、この段階で被告人が右預金のことに触れ金の要求をした旨の記載があるが、このことは右各調書のその後の状況のA子と被告人の言動の記載、及び被告人の同年二月一〇日付司法警察員に対する供述調書並に検察官に対する供述調書と対比しにわかに信用し難い。すなわち、被告人は、A子にどのように切り出して金の無心を成功させようかと躊躇逡巡して、情に絡めようとしたが、同女から手ひどい拒否に会い、同女が被告人を避けて興奮状態になりつつあるので、この段階ではとも角A子の抵抗を制してこれを静め、その上で金の無心の具体的なことに及ぼうと考え、取敢えず避けまわるA子の行動を牽制するために両手を後手に縛って、脅し文句をならべていると解されるのであって、A子が痛がって喚くと、被告人はすぐその紐を緩めたり、手を揉んでやってA子の興奮を静めようと努めているところからみても、同女の納得と協力を要する定期預金からの金の要求を、この段階で言及したとは思えない。そういう状況ではまだないと見るべきであるから、前記のA子の供述調書の記載は信用するわけにはゆかない。又、被告人の脅し文句なるものも、A子を静止させるためのものであって、それが本意でないことは明らかというべきである。

(6)  被告人はA子を右のように縛った後、その際同女に引っ掻かれた右頬の傷に、血が滲んでいるのを六畳間の洋服タンスの鏡で見ていると、その隙にA子が立上り後手で四畳半間の窓ガラスを一〇糎程開けたのに気づき、逃げられると思ってとんでいってそれを閉めている隙に、今度は同女が小走りで玄関のほうに行き、扉が閉まった状態で大声で助けを求めたので、被告人はそちらに行ってA子を三畳間に引きずっていったが、A子はなおも大声で助けを求めるので、外部に同女の声を聞かれてはいかんと思い、同女の口を手で塞いだところ、同女から右手の中指の先を強く咬まれ出血をしたこと。A子は咬んだ指をなかなか放さなかったが、指からの出血がひどいのを見て、怪我させて悪かったと思い、四畳半間に連れ込まれたところで、ようやく口を開いて被告人の中指を離してやったこと。被告人は中指の血が止まらないのでA子の体からエプロンをはずして血を拭いているとき、タオルが眼についたので、今度はタオル二本を使って、抵抗するA子の口に大声を出せないように猿ぐつわをしたが、同女は言葉を発することができる状態であったこと。

(7)  その後、被告人は出血している中指の手当をしようと、A子に「包帯はどこにある」と尋ねながら、包帯を探すために四畳半間西側壁寄りの整理ダンスの一番上の抽出しを開けたところ、包帯はなく、Bの黒包製財布一個とBの茶封筒の給料袋一枚が眼に入り、その給料袋には一万円札や千円札が入っていることがわかったが、息子の金であるので取る気を起さず、そのまゝ抽出しを閉めたこと。次いで包帯か塵紙はないかと六畳間の押入れを約四〇糎位開いたがA子が「包帯なんかないよ」と声をかけてきたので特別にそこを探さずすぐ閉め、次いですぐ近くの洋服ダンスを開いてそこの鏡を見て、右頬から出ている血を自分のポケットから塵紙を出して拭いていると、A子が「そんなところにも包帯なんかない」と言って立上ったので、逃げられてはいかんとA子のところに行き、ジャンパーから寝巻きの腰紐を取り出して同女の前からその膝上一〇糎位のところを縛ったが、同女が以前に足を怪我して痛いと言っていたところから、逃げられない状態であればよいと思い、強く縛らず簡単に縛ったこと。ところが同女の膝が開いたままの状態で縛ったため、全然効いていなかったこと。そこでA子が膝を閉めると縛ってあった紐が緩んで畳の上に落ちたこと。これを見た被告人はA子が逃げると思い、逃さないように同女の後方に廻り両肩付近を持ち後方に引き倒すようにして、四畳半間の中央に背中を下にして倒したこと。このときA子は「足が痛い、足が痛い」と言って起き上る様子もなく、仰向けになっていたこと。そこで被告人はA子が逃げないようにと、オルガン用の椅子を持ってきて、その鉄パイプの脚にA子の右足首付近を前記の寝巻きの腰紐で縛りつけ、その椅子を反対側に倒して同女が起き上れないようにしたこと。A子は縛られもし、騒ぎ疲れたこともあって静かになったこと。

(8)  被告人はなおも包帯を探していると、A子が「三畳間の戸棚の上に薬箱がある、そん中に包帯がある」と教えたので、被告人はそこから薬箱を持ってきて、A子の側に座り「つける薬はこれか」と聞きながら、右手中指の手当をして包帯を巻いていると、A子は「私になんでこんなひどいことをするの」などと詰ってきたので、被告人は「俺だってこんなことやりたくないけど、お前が逃げて行くからやったんだ」と答えたのに対し、A子は「逃げられる様なことをするから悪い、真面目にさえしていれば、私だってこんなところに世話にならなくても済んだのに」と泣きながら喋ったこと。被告人はA子のこの言葉から、自分が真面目にやれば、A子は自分のところに戻って来て呉れる気持があるのではないかと感じとったこと。そこでこれならば金の無心に応じてくれるかも知れないと考え、初めて金の無心のことを口にし、「東海銀行の一〇〇万円の定期から五〇万円都合してくれ、サラ金の払いに必要だ」と要求したこと。A子はそのとき現に一〇〇万円の定期預金を持っていたが、被告人に出してやる気はなかったので、「息子達のお金を二〇〇万円も使い込んだので、息子達が可愛想になって返してやったから、そんな金はとっくにないよ」と拒否したこと。被告人は、それを聞いて、A子が定期預金を持っていることを知ったのは二、三年前のことだし、B達の貯金を無断で使い込んだことも身に覚えのあることなので、A子の右の返答を事実として受取り、A子には定期預金はもうないのかと納得し、それから金を出させようとすることは諦めたこと。しかしながら、それでは直ぐに遊ぶ金や生活費に困るので「サラ金に返さなければならん、医者代もいる、二〇万円だけでも都合してくれ」と要求したが、A子は「私には無い、Bに頼まなければそんな金は出来ない」とにべもなく断ったこと。そうしたところ被告人は中指の手当が終ったので「こんなひどいことをしやがって」と言いながら、薬箱を持ってもとあった三畳間に置きに行ったこと。

(9)  丁度そのとき、Bの長女J子(六年)が幼稚園から帰ってきて、玄関の扉を叩いたのに、被告人は躊躇したが結局扉を開けてJ子を入れてやったが、そのとき孫が帰ってきたのでは、もうA子にひどいことはできないと考えたこと。J子は入ってくるや、祖母のA子が四畳半間で手足を縛られて寝ているのを見て驚き、A子に「ばあば、どうしたの」と声をかけたので、同女は「じいじが縛ったから解いて」と頼むと、J子はA子の足の紐を解き、次に猿ぐつわを取り、さらに手首の紐を解こうとしているとき、これを見た被告人がJ子に「解いちゃいかん、J子も縛るぞ」と怒鳴ったが、J子は解くのをやめようとせず、なかなか解けないので、被告人に「じいじほどいて」と言ったところ、被告人が「ほどかん」と拒否したので、J子は「くそじいじ、ばあばになんでこんなことをするの」と泣きながら怒鳴り、なんとか解こうとしていたこと。そのときA子は立上っており、四畳半間にいたこと。

(10)  被告人はそのような状況を見て、もうここには長居はできないと焦り、A子から金が出なければ、息子の金であろうとなんであれ、金を手に入れなければとの考えから、先刻包帯を探すときにたまたま見たBの給料袋のあることを思い出し、これを持って行こうと決意し、前記整理ダンスの抽出しを開いて右給料袋を取出し、「借りて行くよ」とA子に声をかけ、これをジャンパーのポケットに入れ、他にA子やBらの金員を求めて部屋内を物色することはせずに出て行ったこと。一方A子はこれを見て、息子の給料であるしなんとかとめたかったが、今までの暴行から、とめるとまた何されるかわからないと畏怖していたこともあって、被告人に対し「早く返してね」と声をかけただけで、困惑しながら仕方なく黙認したこと。A子はこの給料分の金については、自分の金からBに返すつもりでいたこと。

(11)  その後、A子はJ子に鋏を持ってこさせて、手首を縛っていた紐を切らせたこと。

(12)  A子は、両手首を後手に縛られたことにより、同部位に右手関節圧挫傷(全治まで約一週間)を、右足首をナルガン用椅子の鉄パイプの脚に縛られたことにより、右足関節部に皮下出血を伴う圧挫傷(全治まで約一週間)を、又、椅子に腰掛けているとき被告人に後方に引き倒された際に左第五趾基部骨骨折(全治まで約六週間)の各傷害を負ったこと。所論は、左第五趾の骨折は被告人の暴行によって生じたものではない旨主張し、それに見合う当審証人A子の証言があるが、右証言は、《証拠省略》と対比し、とくにその骨折の具体的状況及びA子が大野医師に診断書の訂正を求めた経緯に、被告人の示唆による作為が窺知されることにかんがみ、到底信用することはできないから、所論は採用できない。

三  原判決は、被告人はB宅にA子を尋ねる前に、A子の定期預金をあてにして、同女から金の無心をしようと考えたが、同女が簡単に応じてくれる見込みもなかったので、その場合は、同女から金員を強取しようと考えたとし、次に、A子の峻拒に逢い、ここにおいて同女から金員を強取しようと決意したとし、その目的達成のために原判示のような暴行を加えたとし、さらにA子の反抗を抑圧した状態で同女所有の金員を求めて室内を物色したとし、B所有の現金を強取したとし、右暴行の際の傷害と共に本件を強盗致傷に問擬しているので、前記認定した各事実に則して、その是非を検討する。

1  被告人が、A子を尋ねたのは、金に困窮し、なんとかA子からその定期預金の半額の五〇万円を無心しようとするためであったことは、前記二の1ないし4に認定したとおりである。だが被告人の目的は、A子が同情してくれてすんなりと五〇万円だしてくれればそれでよし、もし拒否したときは言葉で脅すか、手足を縛ってでも定期預金の通帳と印鑑を出させ、その引出しに協力させようとしたものであって、A子に接する以前において、右以外にA子又はBの金員又は財物を何がなんでも奪取しようとする意思のなかったことは、前記二の5の(1)ないし(9)の各事実に徴し明らかである。被告人の狙いはあくまでA子の定期預金からの引出しによる五〇万にあったのである。そうだとすれば、定期預金の通帳と印鑑を探し出すことができてもそれで現金化できるわけのものではなく、当然にA子の協力を必要とするものである。このように現金化するまでに手順を踏むことを要する行為のすべてを含めて、直にもって強取の犯意があったと解することはたやすくはできない。

2  原判決は、強取の決意の時期を、A子を四畳半間において羽交い締めにする直前と認定し、右羽交い締めを含め、その後の両手の後手の緊縛、猿ぐつわ、両膝の緊縛、押し倒し、右足のオルガンの椅子脚部との緊縛の一連の暴行行為を、いずれも右強取の犯意に基づくA子に対する反抗抑圧の手段として認定している。しかしながら前記二の5の(1)ないし(9)において詳細に認定した各事実からすれば、被告人に財物強取の犯意があったことも、A子が反抗を抑圧されるに足りる暴行を受けたこともさらにその状態の下に同女所有の金員を物色したことも、いずれもこれを認めることができない。すなわち、被告人はA子に無心してその定期預金の半額の五〇万円を出させようと思い、借金を返しに来たと嘘を言って部屋の中に入れてもらったが、なかなか金のことが切り出せず、躊躇してうろうろしていたところ、A子に無視されて切っ掛けがつかめず、そこで情に絡めてA子を軟化させて無心しようと思い、外部から見えないようにと窓のカーテンを閉めたらA子にすぐ戻され、同女が自分の話を聞かないまゝ外に逃げ出すのではないかと気にし、力ずくでも情に絡めたうえで話を切りだそうとA子の後方から抱きついたところ、A子が猛烈に抵抗するので、過激な脅し文句をならべて同女を静まらせようとしたが、A子の抵抗が激しいので同女の両手を後手に縛ったものの、その際右頬に爪を立てられて出血を伴う切り傷を付けられたので、それを鏡で見ているとき、A子が立ち上って四畳半間の窓を明けようとしたり、玄関から逃げようとして大声で叫んだので、外部にA子の声を聞かれてはいかんと思い、その口を手で塞いだとき、右手の中指の先を同女に強く咬まれ、A子はその出血のひどいのを見て怪我させて悪かったと思って口を開いて被告人の中指を離したところ、被告人は大声が出せないようにその口にタオル二本で猿ぐつわをしたが、同女は声が出せる状態であったこと、そこで被告人は出血している中指の手当をしようとして、A子に尋ねながら部屋中包帯を探しているうちに、四畳半の整理ダンスの中にBの給料袋を見つけたが、息子の金であるので取る気を起さず、そのまゝ抽出を閉め、又包帯を探しているとき、A子が立ち上ったので、逃げられないようにその両膝を縛ったが、緩かったためA子はすぐそれをはずしたのでこれを見た被告人は逃げられると思い、A子の後方から同女を引き倒したところ、同女はこのとき足が痛いといって起き上る様子もなく、仰向けになっており、被告人はこのA子の右足をオルガン用の椅子の鉄パイプの脚に起き上れないようにすると、同女は縛られもしたし騒ぎ疲れて静かになったこと。被告人は、さらにそのA子に教えてもらって薬箱をみつけ、それを持って同女の側に座り、同女に教えてもらいながら中指の手当をしており、そのときのA子とのやりとり(前記二の5の(8))のうちに、同女の気持を自分なりに推察したうえで、定期預金を引出して五〇万円を都合して欲しい旨のことを述べてこの段階に至ってはじめて金の無心をしたところ、同女からもうその金は無いと断わられるや、やはりもう持っていないのかと納得して諦めたが、それでも金が欲しいので、さらに現金二〇万円を無心すると、やはりA子からにべもなく断わられたこと。そのころ中指の手当を終えた被告人が薬箱を元の位置に戻しに行ったとき、孫のJ子が帰ってきて、被告人にら叱れながらもA子の右足の紐を解き、猿ぐつわを取り、さらに両手を縛った紐を解こうとしたたが、解けないので被告人に解くように頼み、被告人はJ子が帰って来たことで、これ以上A子に手荒なことはできないし、長居することもできないと焦ったが、それでも金が欲しいと思い、先刻包帯を探すときにたまたま見たBの給料袋のあることを思い出し、これを持って行こうと決意し、前記整理ダンスから給料袋を取出し、両手だけを縛られた状態で立っているA子に「借りてゆくよ」と声をかけ、同女はなんとかとめたかったが今までの暴行から、とめるとまた何されるかわからないと畏怖していたこともあって、被告人に対し「早く返してね」と声をかけただけで、困惑しながらこれを仕方なく黙認したこと、被告人は他に部屋の中を金員を求めて物色することなく立去ったこと、の各事実の経緯からするならば、被告人がA子に加えた右各暴行のすべては、同女が逃げ出さないようにするためであり、その興奮を鎮静させて、そのうえで同女が持っているはずの定期預金から五〇万を引出し、これを借してくれることに協力させるべく話を持ってゆこうとするためのであったものであり、それ以上に同女の反抗を抑圧してその意思を無視して金員や財物を強取する犯意に基づくものではなかったと解すべきである。このことは被告人は部屋の中を物色してA子やB夫妻の金員や財物を奪取する機会と時間は十分にあったにかかわらず、被告人はA子を緊縛したどの段階においても、そのような物色はしておらず、部屋の中をうろついたのは包帯を探すか、薬箱を元の位置に戻すためであったことの明白な事実に照らしても容易に首肯できるところである。一方A子は、外形的には両手を後手に縛られ、次いで口に猿ぐつわをかけられ、さらにオルガン用の椅子の脚に右足首を縛られ(もっとも被告人がBの給料袋を持って出る段階では、両手の緊縛のみである)、いかにもその反抗を抑圧されていたかの感がある。しかしながら、A子はもともと被告人と夫婦であり、離婚後も近くに住んでいて孫を通じての往来もあり、さらに本件の一〇日前には同女は被告人の懇願を容れて、無理して一〇万円を貸してやっている仲であるから、被告人に対する惻隠の情を残していたものであって、その中指に咬みついたとき出血がひどいのを見て、被告人に怪我をさせて悪かったと思って中指を口から放してやっており、又、被告人が包帯を求めて部屋中をうろついているのを見て、薬箱の所在場所を教えてやっており、さらに手当のし方も教えてやっており、A子が縛られて寝ている側で被告人が座って中指の手当をしながら定期預金のことを切り出したときの会話も、加害者の強圧の下での会話というよりは、もと夫である被告人の金の無心と愚痴に対して、今まで苦労させられた妻として、そんな要求には応ぜられないとの強い姿勢での応接のし方であったと見るべきである。そのうえ被告人はA子の、定期預金の金は被告人がBにかけた迷惑の償いとしてBにやったからもう無いという返答を聞くや、自己が息子Bにかけた不始末に思いを致し、その返答に納得して定期預金からの金の要求はその場で諦めているのである。その後被告人は現金二〇万円を要求したが、これに対してもA子は強い姿勢でにべもなく拒否しており、拒否された被告人はA子が緊縛されて不自由であるにもかかわらず、部屋の中を同女の金員を求めて物色したりなぞしてはいないのである。以上のことから、被告人は強取の意思がなかったのみならず、A子に対する緊縛などの暴行を強取の手段としておらず、また緊縛されていたとはいえ、A子もまた被告人の右のような定期預金からの金の要求に対しては、十分に精神的な余裕を保って主体的に応対しているのであるから、A子と被告人との特別の関係、部屋の状況、金員要求の具体的内容、その応答の経緯からみて、右暴行はいまだもっていわゆる反抗を抑圧する状態には至っていなかったということができるものである。A子の捜査官に対する供述調書中には、被告人の数度の暴行に対し、相当恐怖を覚えた旨の記載が散見されるが、その具体的経緯からみて誇張に過ぎるというべく、また被告人は金員強取の目的で部屋内を物色した旨の記載も見受けられるが、被告人はこれを否定しており、A子も当審での供述において否定しているのであって、かつ、すでに認定した被告人の部屋内の行動、とくにBの給料袋を見ながらもこれを奪取しなかったことに徴しても、右供述調書の記載を信用することはできない。

3  次に被告人がBの給料袋のあることを思い出し、これを無断で持ち出した経緯については、すでに前記二の5の(10)及び三の2において詳細に認定したところであって、被告人は強取の犯意でA子の反抗を抑圧したうえでBの給料袋を強取したと見るべきではなく、J子が帰ってきてA子の右足首の緊縛を解き、猿ぐつわを除き、両手の緊縛もなんとか解こうと努力しており、すでにA子は立上っている状況において、A子所有の金員を要求することは諦めた被告人が、なんとしても金の欲しいところから、今までの暴行でとめるとまた何をされるかわからないと畏怖し困惑しているA子の状態に乗じて、借金名下にBの給料袋を持ち出し、A子はこれを黙認した恐喝の犯行と解するのを相当とするものである。他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

四  以上の各説示からするならば、本件は被告人がA子に前記のような暴行を加えることによりこれを畏怖させ、その困惑に乗じて同女の保管にかかるBの現金入りの給料袋を喝取した事案であって、一連の暴行による前記認定の各傷害は、右恐喝行為と同時期にその際に生じたものであると認められるものである。してみればこれらを強盗致傷罪として問擬した原判決にはその判示事実に誤認があり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の所論を判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで刑事訴訟法三九七条三八二条により原判決を破棄し、なお本件は訴因の変更を要せずかつ直ちに判決することができる場合であるので、同法四〇〇条但書により、当裁判所は次のとおり判決する。

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、昭和二〇年一月に旧姓A子と結婚し、同女との間に長男B、長女C子、次男Dを儲けた。同三〇年ころからパチンコや競艇のギャンブルに凝り出し、家庭を顧みず熱中するようになり、その結果居宅を売却する破目になったのに、それでも一向に性癖は改まらず、殊に同五〇年ころからは給料もすべてそれにつぎ込むばかりか、サラ金から多額の借金をしては長男Bに二度に亘り合計四〇〇万円の返済を強いて迷惑をかけ、同五二年には業を煮やした妻A子から離婚調停を申し立てられ、ギャンブルを慎しむことを条件に一応離婚に至らなかったものの、その後も悪癖はさらに昂じ、挙句にはB宅から同人夫妻の貯金通帳等を無断で持出し、二五〇万円を引出してギャンブルやサラ金の返済に使ったため、遂に同五五年一月にA子と離婚するに至った。それでも被告人のギャンブル狂いは治まらず、同五七年八月に交通事故に遭い勤めをやめ、同五八年三月からは厚生年金と失業保険金で細々と暮らすようになってからも、相変らずギャンブルに精を出し、そのためサラ金の返済に追われる日々を続け、Bの妻から借金したり、同五九年一月二〇日には別れて被告人宅の近くのB宅に同居して、少しは往来のあったA子に無心して一〇万円を借金したが、それも瞬く間にサラ金の返済とギャンブルに費い果し、同年二月一日ころは僅か一〇〇〇円を懐にするのみであった。そこで被告人は他に頼りにする者もいないところから、別れた妻のA子が定期預金一〇〇万円を有していることを思い出し、なんとかA子に無心してそのうち五〇万円を出させようと思い立った。しかしながら一〇日前にすでに一〇万円を借りており、それをまだ返済していないので容易なことでは出して呉れまいとの思いから、そのときは、言葉で脅すか多少手荒なことをしてでもなんとかA子に金を出させようと考えた。

(罪となるべき事実)

被告人は、右のような考えの下に、昭和五九年二月一日午前一一時ころ紐類を携えて自宅を出て、そのころ近くの浜松町《番地省略》所在の長男B方に到り、孫K(当時二年)の守りをしながら留守番していたA子(当時六一年)に、借金返しに来たと嘘を告げて同女に解錠させて入室し、なんとか金の無心を切り出そうとしたが切っ掛けがつかめず、情に絡めて同女を軟化させて金を出させようと同女に纒いつこうとしたが、同女に拒まれたうえ、同女が興奮して話を聞こうとせず室外に逃れようとする気配を示したので、ともかくA子を静めて金の話を切り出そうと考え、同室四畳半間において、椅子に腰かけていた同女を、背後から羽交い締めにしようとして同女と揉み合い、同女の抵抗が激しいところから、所携のビニール紐と布テープの紐で同女の両手を後手に縛り、一応静めたものの、同女が立上って同部屋の窓ガラスを開けようとしたり、大声を上げたりするので、黙らせようとしてタオル二本でその口に猿ぐつわをし、その際A子に咬みつかれた右手中指先の出血がひどいので、その手当をするためA子に尋ねながら包帯を探しているうち、同女が再び立ち上ったので逃げられてはいかんと思い、所携の腰紐で同女の両膝を縛ったが効果がなく、同女がこれをすぐはずしたので、今度は同女の後から後方に引き倒し、逃げないようにと右足首を同部屋にあったオルガン用の椅子の鉄パイプの脚に前記の腰紐で縛りつけたところ、同女は静かになったので、同女の指示により探し出した薬箱を持って同女の側に座り、右手中指の手当をしながら、被告人との争いで疲れて静にしている同女に対し、定期預金から五〇万円を出して呉れるように要求したところ、同女からその金はBにやってもう無い旨断られるや、それを納得して右要求を諦めたが、どうしてもサラ金の返済と遊ぶ金が欲しいところから、現金二〇万を出すように要求したものの、これも断わられ、どうしようかと思いながら手当の済んだ薬箱をもとの位置に戻しに行ったとき、孫の幼稚園児J子(当時六年)が帰って来て、被告人を無視してA子の右足首の緊縛を解き、猿ぐつわを取り、両手の緊縛も解こうと努力しているのを見て、こうなったらそこに長居は出来ないと焦り、A子から金が出ない以上、Bの金でも仕方がないと思い、先刻包帯を探すときに見たBの給料袋が同室の整理ダンスの中にあることを思い出し、A子が被告人の右の数次の暴行で畏怖困惑しているのに乗じ、同女の管理にかかる長男B所有の現金一〇万三、一五〇円在中の給料袋を喝取したが、その際右一連の暴行により、同女に対し全治まで約六週間を要する左第五趾基節骨骨折、全治まで一週間を要する右手関節及び右足関節部圧挫傷の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為中、恐喝の所為は刑法二四九条一項に、傷害の所為は同法二〇四条に該当するところ、右は社会的類型的事実としては同一の時期場所において同一の被害者に対してなされた行為であるから、これを包括して一個の行為と解するので、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い恐喝罪の刑で処断することとし、その刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して、原審の未決勾留日数中五〇日を右の刑に算入し、なお後期の情状を考慮して同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右の刑の執行を猶予することとし、原審及び当審の訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書によりすべて被告人に負担させなないことにする。

(量刑の理由)

すでに詳細に認定したところから明らかなように、本件は被告人が、若いころからギャンブルに狂い、そのため長期間に亘って妻子を苦悩に陥れ、その金銭的不始末をA子やBに度々救ってもらったにかかわらず、一向にその性癖は改まらず、遂にA子と離婚するに至ったが、その後もギャンブルにのめり込み、サラ金の返済や生活費にも困窮しているのに、さらに遊ぶ金や返済金欲しさに、A子に強引に金を要求することを考え、その意に応ぜさせるために、前記判示の数々の暴行を加えて脅かし、その峻拒に会うや、A子の畏怖困惑に乗じて多大の迷惑をかけて続けいる長男Bの給料一〇万余円を喝取し、その際A子に前記判示のような全治まで六週間を要する傷害等を負わせたものであって、それが家族内の争いごとであったにせよ、自己の身勝手な欲望の満足のための犯行の動機には掬むべき事情はなく、執拗な暴行の繰り返しの態様も悪く、その結果も大きいところから、その犯情はよくなく、その刑事責任は決して軽くないといわなければならない。

ただ被告人は長年月に亘ってギャンブルに狂いその家庭も破壊したとはいえ、社会生活においては前科として賭博罪の罰金刑が一つあるだけであり、金銭的迷惑も家族親戚裡のことにとどまるところ、本件の被害者のもと妻A子は、判示のような暴行を受け、息子の給料を持去られたことから、本件直後は極度に興奮立腹し、Bの慫慂もあって直に官憲に訴え出て、厳しい叱責を求めたものの(ただしA子の検察官に対する供述調書に見える長期の厳罰を望む旨の開陳は誇張に過ぎており、当時のA子の真意と解するわけにはゆかない)、被告人が控訴してからは、すでに長期に亘り勾留されていることもあり、もともと夫であったところから、被告人を深く宥恕していてその早期の社会復帰を強く希求しており、又、直接の被害者である長男Bも、父である被告人からは本件迄にすでに三回に及び合計六五〇万円近い多額の跡始末をさせられていて、本件についても一時は大いに立腹して母A子をして官憲に訴えさせたが、父のことであってみればもともと厳罰は望んでおらず、その社会復帰を強く求めているところ、被告人は昭和五九年二月一日本件の当日に逮捕されて以来現在に至るまで、引続き約二六〇日強の期間身柄を拘束されていて、家族らの官憲によって厳しく叱責して欲しい旨の願いもほゞ達せられたと思料され、この間被告人は自己の非を認めて深く反省悔悟しており、社会復帰の暁には真面目に正業に精励することを誓っているなど被告人にとって有利な諸般の事情を彼比勘案すると、被告人に対しては実刑の厳罰をもって臨むことなく、あえて執行猶予に付して社会に復帰させ、社会内にあって家族の愛情と監督の下に、その身を慎み、反省悔悟の老後の日々を送らせるのを相当と思料するものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 市川郁雄 裁判官 石丸俊彦 小田部米彦)

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